山域:頸城・海谷(どこだYO)
日程:2018.10.13~2018.10.14
メンバー:
4年:セキ
2年:オノ(C.L.)、ナカジマ (S.L.)
こんにちはぼくです、セキです。
妙高火打に行ってきました。
妙高山は新潟県の長野よりの部分に属する火山であり、火打山はその隣に佇む山である。
どちらも日本百名山であるが、特に妙高山の方は新潟県にあるくせに北信五岳のひとつに数えられている。特に名前がしれている印象がある。僕の実家からは北信五岳がすべて見えるが、たしかに妙高山を北信五岳からはずすのはナンセンスのように感じる。長野県の県境を拡大して名実ともに北信五岳となるのが早急かつ切実に望まれる。
妙高山に比べて影が劣るように感じる火打山だが、どっしりとかまえた山容に見とれてしまうとむしろ鋭くコンパクトな妙高山などはかえって見劣りするって深Qが言っていた。残念ながら長野県川からは火打山の山容はよく見えない。
火打山と妙高山は隣り合っているため1泊2日で両方ともいけるという100名山リーズナブルプランセレクションなのだ。すごい、みんな幸せ、エブリデイハッピーライフ。
今回C.L.のオノが山行を募集していたのは7月とか6月。僕が悶々として山にいきたいなと思っていた頃だった。ちなみにこのオノ、次期主将である。ぜひとも漢字で書く所をひらがなと長い棒で書くことのないような恥ずかしくない主将になってほしい(ex. しゅしょー instead of 主将)。
そして集ったのがセキ、ナカジマ、サイカワだ。なんか前回の仙ノ倉山感満載だなーと思っていたが、サイカワは山行直前に足をひねっただかぶつけただか折っただかなんだかで痛めたために欠席となった。誠に残念でした。
計画では笹ヶ峰から高谷池ヒュッテまでいき、そこから火打ピストン。次の日に妙高ピストンで笹ヶ峰に戻るというルートでした。そしてこの時期、なにがいいって紅葉でしょ。つまらない樹林帯歩きが楽しくなるのは新緑の時期と紅葉の時期だけだって誰かが言ってた。知らんけど。
妙高のような荒々しい山に加えてどっしりとした火打、それらを紅葉に時期に行くと聞くだけで最高にワクワクする。doesn't it? だけど不安要因がないわけではない。というかめちゃくちゃおおきな不安要因があった。
天候である。
一個中隊を編成できそうな量の台風が今年はやってきた。しかも、この週の前半には大陸から冬将軍ことナンカオオキイ寒波が日本の領空を侵犯していた。さらに、将来有望な雨女サイカワも一行にいるのだ。1週間ほど前に天気予報を確認したらどうやらぐずりそう。心にはすでに暗雲が立ち込めていた。
が、天気予報は徐々に良くなっていった。金曜日には、土曜日晴れ、日曜日曇り時々雨といった程度までに回復した。そして、山の天気は素晴らしかった。特に1日目は最高の天気だった。なぜ予報が覆ったのか、その理由は後に判明する。
今回の登山はめちゃくちゃ久々の1泊の登山である。ワンゲル諸君の毎度の反省の絶対的エース「体力をもっとつけるべきだと思った」の次にレギュラーを張る「準備が慌ただしくなった」が目を見張る活躍をしてしまった。食糧係であったため、ご飯とか買ったり、下準備したり、荷物探してたりしてたら寝る時間が遅くなってしまった。
当日30分ほど遅れて実家を出発した。ちなみに自分は今長野県上田市菅平の研究所で卒業研究を行っており、それが実家から通える範囲にあるためなんと実家暮らしなのだ。長野駅でオノナカジマを拾って登山口に向かう。道中、ワンゲルの近況を聞く。
なんか仙ノ倉山からあまり時間は経ってないけど沢山の出来事が起きたようだった。つくばが恋しくなる。そういえば前回仙ノ倉山のブログを書いた時に月曜から夜ふかしをみながらリーダー会を思っていると書いたが、リーダー会が行われているのは火曜日だと指摘が有りました。去年僕が現役の時から火曜日にしたんだった。月曜に僕がつくばに向けて送っていた思いはそのまま相手が見当たらず迷子になっていたみたいです。あー、火曜日かー、普通に寝ていますね。今度から火曜日の12時くらいになったら暖かいお布団とうつつな夢の中でつくばでがんばれ〜と米倉涼子かっこいいとおもうことにします。
長野駅から1時間半ほどで登山口駐車場に到着。すでに紅葉がきれい。天気も最高の晴れ。僕の本名は岳陽というのですが、「岳」に「陽」。名前に恥じない天気となった。駐車場には車が多くてちょっとテン場が不安になる。テン場が足りなくなったら小屋泊か?でも金ナイから多分お皿手伝いとかしなきゃと思いながら荷物を分ける。今回自分はヘッドライトが故障しているのに前日気が付き、サイカワから借りたところ、めっちゃピンクだった。
登山口で環境保全への任意の協力料に関する社会実験が行われていた。火打山は雷鳥さんのシマであるのだが、個体数が少ないため局所絶滅の可能性があるのだ。500円を払った。いざ登山道へ。
樹林帯歩きであるが、道はゆる〜〜い上り。立派なブナがいた。ブナは一番かっこいい樹木だと思っている。生まれ変わったらジンベエザメかブナになりたい。
ペースは結構はやめだった。途中おじさまおばさまをごぼう抜きしていった。箱根駅伝な気分。かなり早めに黒沢に到着した。
休憩。橋からはすばらしい紅葉が望めた。多分この橋がこの日の紅葉のピークだったと思う。
今回の僕のレーションはバナナとポテトチップスとフルグラいちご味。ポテトチップスから消費する。山で食べるジャンク品はおいしい。
今回の僕のレーションはバナナとポテトチップスとフルグラいちご味。ポテトチップスから消費する。山で食べるジャンク品はおいしい。
前景はいいのだが背景ナカジマが思うような位置に収まってくれない図 |
ピースが上手な方がナカジマ、下手な方がオノ。ちなみに今回オノは写ルンですで撮影してました。 |
この橋を超えたら地形図的には急な坂が富士見平の前まで続く。ちょっと気持ちを入れ替えて登り始める。たしかに急なのだがそれほど急すぎるというわけでもない。問題なくサクサク進む。不意に見えた北アルプスが綺麗。北アルプス以外の山に登って北アルプスを眺める時、たいてい目につくのは槍ヶ岳で、遠方に白馬岳が見える光景に慣れていた。今回は白馬が近くに見える新鮮な北アルプスだった。
来年は北アルプスに足を伸ばして登りたい。
白馬岳の写真ではなく疎林の風景。紅葉がお好きでしょ? |
途中、感動する絶景に出会った。谷の部分に池塘が広がっているのだ。だだっぴろい笹っぱら。今思えば、我々の遠い祖先が🐵と袂を別った時に、最初に進出したのが草原だったという。そこから遠くを見通せるという適応意義により二足歩行をするようになったとか。その頃の子孫の気持ちがわかる。これを見れただけでもかなり満足だった。今度はここに来て、のんびりと1日を過ごそうと軽く誓った。
目に優しいコントラスト |
色がはっきりしているから加工がしやすい
なにかの表紙かな????? |
#フィルムカメラ(オノ撮影) |
ひとしきり池塘に感動したあと、黒沢ヒュッテについた。意外に近い。結構面白い形をしていた。火星にできた基地みたいな形で今にも動き出しそうだった。ロボットかな。
荷物をデポして出発。荷物の入れ替えに少し時間をつかう。オノのリュックがボコボコだった。次の主要ポイントまでは1箇所を除いて普通の登山道だった。その一箇所というのは、ひどくえぐられている場所で、最近の台風とかが原因なのかなと思われた。大きな大木が倒れたときの跡地みたいな。
ボッコボコ |
この景色の場面に限って言えばガスってたほうが幸運だったかもしれない。知らんけど。 |
一瞬ヒマラヤの姿をそこに見た気がした。 |
登り返しはきつかった。最初はまだしもだんだんと岩が多くなってくる。結構急になってくる。手も使わざるをえない。体力が削られていく。疲れたんだZE神様。
登りの上の方にはロープがある。正直使わないしむしろ邪魔。無視して登っていたら岩に膝を強くぶつけてしまった。とても痛かった。全治3時間の大怪我を負ってしまった。だんだんと山頂が見えてくる。結構それでも有るような気がしたし、いや案外近いというような気もしてきた。創造主にきっと幻影を見せられている。ちなみに屁はこのあたりがピークだった。不思議と便意はない。これもきっと創造主の計らい。
いつの間にか |
気がついたら山頂に着いていた。急に山頂が現れた。途中まで山頂が見えていたのに、途中から迂回して見えなくなったと思ってたらなんかすぐについた。不思議な山だと感じた。とりあえず集合写真を撮った✌
空と同化するおじさん。 |
しばしくつろぐ。優雅な時間を過ごす。インスタバエする岩がごろごろと転がってたのでたくさん写真を撮ってしまった。
謎に漂う昭和感 |
ナカジマの大きさがよくわかる一枚 |
まるまる中 |
さて降りようと思ったら、オノが南峰にもいきましょうと。それで初めて知った、妙高山にはピークがふたつあることを(倒置法)。
歩きやすい道を歩き、5分ほどで到着した。ここでもしばしくつろぐ
逆光!!!!!!!!!!!!!!!! |
撮影タイム(オノ撮影) |
別アングル |
🐵 |
ふたつの山頂でそれぞれ休憩以上の時間を使ってしまった。気がついたら山頂に人が少なくなっていた。自分らもそろそろ下らなくては天気予報のラジオに間に合わない。急いで下る。結構疲れが来ていたけどトントントンと下れた。去年、この時期にナカジマは秋入学生として入部した。はじめての一泊の山行は丹沢で、一同行したがその時と比べるとホントに歩き方がうまくなったと思う。後輩の成長を実感する。
たまに落ち葉で足が滑る。
大倉乗越との鞍部につく。いや〜〜な気持ちが蘇る。やっぱりこの地形作った創造主は気が利かない。大倉乗越をすぎれば妙高の神々の力は及ばないと思っているから気分清らかに悪態吐ける。悪態吐けるのはいいが、やっぱり登りはきつかった。乗越はダメ絶対。
そして乗越にたどり着いた。行きよりも疲れた登りだったし、行きよりも達成感のあった登りだった。振り返ると妙高の神々が不届き者の自分にも笑いかけてた。なんか今までためた徳ポイントがなくなっちゃった気がする。
悪態ついてごめんなさい。 |
心地よくなってやっほーーーと叫んでみた。後ろからおばさんの声で「やっほー」と跳ね返ってきた。どうやら僕の声は地球1周してだいぶやつれてしまったらしい(失礼)。
ヒュッテまでの下りは一瞬だった。
なんとか4時には間に合い、テントを立て、料理を作り始めた。
しかし1週間前までは天気予報が悪かったのに、実際は午後一杯まで晴れたのは摩訶不思議である。よくよく考察してみるとやはり雨女雨男があるのではないかと思ってしまう。将来有望な雨女サイカワがつくばにいたことにより、雨雲を連れてこなかったと考えられる。しかし、それ以上に大きな要因が考えられる。今回ワンゲルのメンバーのひとりが個人山行で甲武信岳の方に赴いていた。そして、そのひとりは空前絶後の雨男なのだ。これは下山後に知ったことなのだが、この日甲武信岳では豪雨が降り、彼らは山行を中断したということだ。つまり、彼が甲武信岳に行ったおかげで雨雲という雨雲が彼に向かってしまい、妙高火打では雨雲が残っていなかったのだ。彼には感謝しか感じない。雨雲とこれからも仲良くやっていってくれ。今度会ったらなにかおごってあげようと思った。
オノがラジオを聞いている間、料理を作った。献立はスキスキ٩(♡ε♡ )۶すき焼き。
具材は、ヒラタケ、しめじ、ネギ、白菜、豆腐、春菊、鶏もも肉、手羽元 |
普段山での飯はお米が余ると思うが、今回はなんとおかずがあまるぐらい大量に作った。しかし、すぐに平らげてしまった。これは食糧セキの采配が素晴らしかったことを過不足なく示す。
1回目は卵の代わりにゆずをつけダレにした。2回目は普通に卵を使った。どちらも美味。 |
オノ曰く、眼鏡が曇るとすぐに雨が降るらしい。と言う事はすぐテントの中で雨が降るということ????? |
今回ぼくはゆずしょうがというセンスしか感じない飲み物を飲んだ。体も暖まったことだし便も出るかと思ったけど、でなかった。バキュームカーセキ。
トイレしに外に出た時、結構寒かった。風も少し吹いていて冬の気配がムンムンにした。
で、就寝タイム。なんか全然寝れなかった。長い夜でした。
次の日4時起き。おしるこを食べて準備。5時10分ほどに出発。結局便は出なかった。
朝はちょっとガスっていた。
目標が見えてきた。 |
市営とは思えないサービスのよさに感激した。ありがとう。高谷池を出たらしばらくは林道歩き。朝は濡れて滑りやすい。盛大に滑って転んだ。痛かった。大泣きするかと思った。
あとはひたすらに登りだった。昨日大倉乗越でいやな思いをしているため、こうした単調な登りのほうが帰りを考えて嬉しい。振り返ると
池塘がきれい。妙高は上がガスっている。 |
ちょっと寒い。休憩中に半袖だと冷えるな〜〜程度。天気は上が曇り。下の世界はよく見える。頂上での光景が恵まれないかもしれないと危惧を覚え始める。晴れ男俺がいるのだからそうした危惧は頭の片隅にいるだけで特に存在感はなかった。しかしだんだんと登っていくとだんだんとガスってきて思っていた危惧がむくむくと大きくなってきた。
一行が雲の中に入ってしばらくした頃、すれ違う人から吉報をもらう。なんと雷鳥がいるなのだ。南アルプスと北アルプスを縦横無尽に駆け回る人ならば雷鳥など特に珍しくもない”普通種”なのだろうが、ここは火打山である。ここの雷鳥の生息個体数はわずか30頭弱などと言われている。以下のサイトが詳しい。
https://www.nhk.or.jp/ohayou/digest/2016/12/1201.html
更にワンゲルに入ってほぼ1年のナカジマはまだ雷鳥を見たことがないという。火打山が最初の雷鳥の出会いになるのはなんとも。
で、出会えた。この時期に成ると冬毛になっていた。写真を見てしかと確認してほしい。多分読者人生最難のウォーリーをさがせ!になると思う。
雷鳥。Find them. |
耐え忍び、晴れを待つ。 |
ガスガスでなーんにも見えなかった。しかし空の上の方が一瞬だけ明るくなったような気がしたためしばらく待機。いつか晴れダンスというのを教わったことがある。踊ろうかと思ったけど即効性がないだろうなとも思ってやめた。教えてくれた人曰く、ダンスをしたうちから1週間以内に晴れが訪れるという。
その効能は別としてとりあえず晴れる機会がなく、他の登山客もきたのでハイチーズ。ちなみにこの帽子が写っている最後の写真がこれである。この帽子は下山して家に孵った後なくしたことに気がついた。今年、これでMountainHardWearの帽子を2回無くした。心が痛い。
帽子がくなった、心が痛い。 |
その後下った。特に時間通りだった。ごめんなさい、1泊2日なのにだいぶ長文になってしまったのと、ちょっと忙しくて更新する時間がなさそうなので後は写真で我慢しといてください。
またいつか。
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