2016年7月14日木曜日

西穂高岳

7/9 上高地~西穂山荘
7/10 西穂山荘~西穂高岳頂上~西穂山荘(気持ちは~奥穂高岳)~上高地

メンバー(名簿順)
3年 今井先輩、岡島先輩(S.L.)
2年 關(自分)、戸邉、御手洗
1年 木村、久保川、小林、毛利、藁科
OB Bagdat Knobopyanov

焼岳、西穂高岳。
日本の屋根と呼ばれる3つのアルプスの1つ、北アルプスの比較的南部に位置し、同じ稜線上に続いている2峰が焼岳と西穂高岳である。
今回、自分はこの2峰を雄大に闊歩する縦走計画を練ったのだが、山行参加者を募ったところ思慮を外れて11人という大所帯山行になったほか、今回初参加の1年がいるため、リー会から1泊2日で両山に行くのは駄目という意向を頂いた。
そこで悩む。選ばれたのは西穂高岳。日本百名山であり、かつ北アルプス唯一の活火山である焼岳の魅力も捨てがたかったが、主に上級生の意見により西穂高岳に向かう事となった。この判断がのちにどう出るか。



前日、新宿バスタに集合。
授業が長引き、危うくバスに乗り遅れる事態があった事を除けば問題は起きずに出発した。結果論ではな!!
前日にご飯食べにラーメンを1年二人と食べに行った。俺がイケメンだったとだけ述べておこう。子の近くの松本城を拝見しに1年が出発した。
自分は長野市隣の須坂市に住んでいる人だから、長野県住まいとはいっても松本は遠い存在。松本城はいまだかつて見たことがない。見るチャンスは2回ほどあったけどどちらとも偶然潰れたからこれは何かの縁だと思ってそれ以来避け続けている。

当日、雨が降りすさぶ中、上高地帝国ホテル前に到着。雨は予想していが、やはりここから先に急登が待ち構えているだけに気持ちが萎える。萎える「だけ」で済めばよかった。
松尾芭蕉や中原中也は降る雨を見て後世に残る歌や詩を残した。また、現在でも「雨の降る日は好き」とのたまう人が多くいる。実際雨は生活の上では必須だ。だけど、雨の降る日が好き?

そんな訳あるか。

自らの安全を保障されている屋根の下にいるからこそ地面に叩きつけられる水滴は趣深く、心地よく思えるのであってその水滴に自らがたたきつかれるとたちまち「雨嫌い」になるであろう。大丈夫だって?それは濡れた服を直ちに着替えることができる環境があるからだろう。
濡れ、蒸し。
この二つは人を不快にすることこの上ない。ゴアテックスの性能も落ちてしまった自分のレインウェアはもはやただの防水服であり、自分の肌は雨とも汗とも取れない液体でびしょびしょになってしまっていた。手あれはひどくなり、汗疹まで出てきた。
これだけでも散々であるのにさらにirritate me な出来事がhappen。

ブユの登場だ。

真核生物オピストコンタ動物界節足動物門昆虫綱双翅目ブユ科に含まれる吸血性昆虫の総称だ。卑怯な手段に通じる彼らは人の後からついてくる。そのため、前の人が獲得したブユはどんどん後ろに回され、C.L.が犠牲となるのだ。雨の日はブユはさらに調子に乗り、大群となって襲い掛かる。田代橋を越えてから山荘につくまでの間自分の後ろには常に蚊柱様のブユの大群がいた。厄介なことに彼らに咬まれると自分の体質的に腫れがひどくなり、水膨れが起きて長い時には1ヶ月腫れが引かない。故に咬まれることは避けなければいけない。そのため常に手をふりまわし、首をさすり、精神を削られる登りだった。
何度こいつら絶滅すればいいのにと思った事か。今度から補虫網を持っていこうか。
濡れと蒸れと蚋、最悪な登りでした。

山荘についても雨脚は強まるばかり、山荘の中のストーブにだらしなく体を広げ衣服を乾かす一行でした。山荘の料理などで体を温め、ホントに癒された。道中誰にも会わなかったせいか、11人という大所帯にもかかわらずコースタイムを1時間巻いた。

ラジオ天気予報の時間まで雨が止まず、テントが設営できず、また電波も通じたため断腸の思いで天気図を書くことをあきらめた。食料はビーフシチュー。赤ワインまで持ってくるという手の込みようだ。残った赤ワインは酒豪によって処理されていくのを僕はただただ見つめる事しかできなかった。
テント設営の際には雨足が弱まったものの依然強く、濡れながらの設営となった。
その日は早めに就寝し、次の日4時おはようした。
5時過、ピストンで出発。食事を作る際、アクシデントが発生し出発が遅くなった。反省。
この日、前日の雨が嘘かのように晴れ渡った。腕などには前日の汗の影響の汗疹がひどかったが、いい状態。空気中の塵も雨にさらわれ、雄大な山容が現れた。広がる景色はパンフレットで見る写真と同じ。

 グロリアな朝であった。山頂からの景色はきっとよきかな。一行出発である。
独票までは危険な個所もなくすいすいと進む。すれ違う人もいない。ただただ風が強いのみ。前日の濡れ蒸れ蚋の3つのコラボに比べれば楽勝。
独票についた。ついに山頂が現れた。遠く先には奥穂高岳の雄姿が見える。ここから先は危険個所の連続。緊張感をもって望む。当たり前。ボルダリングなどで鍛えてもらったが、山行初参加の一年がいる中ではちょっと怖い。しかも列が長すぎて先頭の方の指導ができないという怖さがあった。独票地点で上級生がいろいろ指導して、いざGO。正直雨のせいで独票からは引き返すものと思っていた。
奥穂的な何か(←)。→は常念???????
独票からの急斜面を下る(先頭の人と手前の人の遠近的なサムシングやばない?)
初山行の1年(奥と手前両方)

怖い怖い岩場は案外すらすらと進めた。しかし、11人という大所帯だ、一人ひとりの間隔を大きくとっているためスローペースで進行。ほぼコースタイム通りに進んでいた。
落石や滑落が怖くてヘルメットを着用したが、落石も滑落も起きなくて安心した。
そして山頂に到着。
山頂は快適な気温、快適な湿度、快適な景色でした。気持ち良すぎて高校時代の半裸癖ヶ出てしまいました。写真は載せない。載せるわけがない。
景色は相変わらずだが、遠くに槍が見えた。
気持ちは完全に奥穂高岳に向かっていた。今年もしかしたら大キレットいくかもしれないから、来年はジャンダルムいきたい。
屏風岩も行ってみたい。完登しなくていいから。

でも一番は北鎌尾根。



笠ヶ岳
帰りも気を付けて下った。独票抜けるまでは気が抜けない。行きと同じくそろりそろりと間隔をとって下った。景色にも飽きて歩行に集中する。故にここでも危険な事態は起きていない。0ハット。
独票抜けてからは気が抜ける。
ロープウェイでやってきた人たちとたくさんすれ違った。そのたびそのたび道を譲ったため時間がかかりまくりんご。

>>>>>>>>>>>>>>怖い話<<<<<<<<<<<<<<<
このすれちがったたくさんの人の中に数時間後の死者がいる。
http://www.tozanarekore.net/article/439911664.html
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怖い話は降りた後に知ってよかった。まだ知らないメンバーもいるだろう。
西穂山荘についた。Mr.害悪テントs(ホントは8:00までに撤収しなきゃいけないらしいが、山荘のご厚意で張ったまま出かけた。)を足早に撤収し、長めの休憩をとった。出発の際、1年のひとりがパッキングが遅れ出発も少し遅れた。これはかなりいけない点。
山荘から上高地に向かう方面ではすれ違うことは少なく、やはりコースタイムを巻いて下った。途中、1年が腹を下し止まることがあった。これもかなりいけない点。
上高地で出迎えた太陽は完全に夏だった。
温泉に入り、筑波に各駅停車で戻った。
温泉は最高ってめっちゃ思ってるし実際最高だった。
松本駅で蕎麦食べたりから揚げ食べたりしたて筑波についたのは0時過ぎでしたね。はい。疲れた。非常に疲れた山行だったし、今までの中で一番充実した1泊2日だった。


今回の山行では歩行や体力であまり問題は見られなかったが、特に1年の団体行動に慣れていない部分が目立った。しっかりと指導していきたい。
テント内での立ち振る舞いやパッキングや団体装備の返却や。。。。。。。。。ウッ、アタマガイタイ
先輩になって初めて気が付くもんなんだね。去年お疲れ様ですって感じだ。

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