期間 【2017/8/9~2017/8/21】
目的 【自分で考えよう】
メンバー
3年 戸邉 2年 木村(CL) 毛利(SL) 一年 犬竹 井口
0日目 8/9 天気☼
つくばからぶらりぶらぶら電車にゆられてバスに揺られて甲府駅へ。暑かった。そこからさらにバスを2回乗り換えて広河原へ向かう。とべさんが差し入れてくれたハンドスピナーのおかげで充実した車中を過ごすことができた。広河原をへて北沢峠に到着。北沢峠行きのバスに乗り換える。バス車内は自分以外はほとんどが、高校山岳部と思われれる人々で、ふと、高校時代の自分を思い出した。高校生にしかだせない雰囲気ってある気がする。北沢峠から10分ほど歩くと長衛小屋のテン場に着く。荷物は去年の長期山行と比べると軽い気がした(それでも30kgはあると思うが・・・)テントを張ってあとはボンヤリ。近くを流れる清流の流れに耳を傾けたり、UNOをしたりしてゆるゆるりと時間を過ごした後、天気図を書き、ご飯を食べて眠りについた。
こうして静かに、だが確実に長期山行の火蓋が切って落とされたのであった。
自分はファッションの方面には疎いのでラッパーとしか形容できなかった… これがイマドキの‘‘大学生‘‘というものなのだろうか |
長衛山荘 |
まだ綺麗なテント。この後の10日間で彼は劇的ビフォーアフターを遂げる事となる。 |
一日目 8/10 天気☼
太陽と共に起床。仙水小屋までは沢沿いに歩く。朝の空気が心地良かった。
小屋から少し行くと岩がゴロゴロしている場所に出た。さらに登ると仙水峠に至る。
仙水峠からは急登。途中、中高年の集団を何度か追い抜いた。「若いね~♥」「早いわね~」の声が雨あられのように降り注ぐ。軽く酔った。甘いプリンを食べすぎた感じ。駒津峰を過ぎると坂の斜度は一旦落ち着く。六万石を過ぎると山頂まで巻道で行くルートと直登するルートの分岐が現れた。直登を選択。
仙水峠からの眺め |
駒ヶ岳直下の登り。晴天時なら直登ルートで問題ないと思う。 |
山頂からの風景①鋸岳方面 |
山頂からの風景②仙丈ケ岳方面(たぶん) |
ぽかぽかと心地よい太陽光を浴びて、気付くと30分くらいたっていた。太陽はやはり正義である。
ただ山頂で疲れてうつむいているだけだが、何かの物語が始まりそうである。 彼の姿にはその力がある。 |
記念写真 |
それっぽい写真。 |
2日目 8/11 天気⛅→☔
日の出の3時間前くらいに起床。少し肌寒いが動きだせばすぐ気にならなくなりそう。斜面沿いにゆっくりと高度を上げていく。
(たぶん)大滝の頭から。今日はいま見えている山々の稜線上を歩いていく。 |
100ℓ近いザックを背負った男五人組が、顔に苦悶の表情をにじませながら歌う「恋」。はたから見ればこの世の地獄である事は言うまでもない。ただ個人的にはそういう瞬間が大好きだったりする(笑)。
仙丈ケ岳頂上にて |
高望池 きれいな池だったがゴミが散見され残念だった。 |
おそらく仙丈ケ岳方面の写真。この山々の連なりを一日かけて歩いた。 |
3時過ぎに両俣小屋に到着。やはり、だいたい12時間くらい行動となった。だが当初想定していたよりはきつくなかったので良かった。テントを張ったあたりで雨が降り出したが木の下に張っていたので気にせず外でご飯を食べることができ、とべさんの名采配である。この日はぐっすり眠れた。
3日目 8/12 ☼→⛅→☔
両俣小屋から尾根までの登り返しがきつかった。えっちらおっちら、おっちらえっちら、2,3のピークを越えて三峰岳を目指す。
途中、休憩していると突然とべさんが脱ぎだした。それ自体はほぼ日常の風景なのだが、なんとパンツが毛利とペアルックではないか!Tシャツやズボンを揃えるのではなくその下に隠れるパンツを合わせてくるところ、粋だねえ。
三峰岳の標高は2999mなんと剣岳と同じなのだ。同じ標高だが荒々しい印象がある剣岳と森林限界から少し頭をだしている三峰岳では印象がまったく違った。遠い北アルプスにある剣岳の山頂にいる人々と同じ高さの目線にいることを考えると、いとあわれなり。
途中、休憩していると突然とべさんが脱ぎだした。それ自体はほぼ日常の風景なのだが、なんとパンツが毛利とペアルックではないか!Tシャツやズボンを揃えるのではなくその下に隠れるパンツを合わせてくるところ、粋だねえ。
三峰岳山頂直下付近 |
三峰岳山頂。ガスっていて残念だった。 |
北岳山荘手前で少し雨が降り始めたがそれほど気にならなかった。
北岳山荘は大盛況でどこもかしかもテントだらけだった。
4日目 8/13 ☼→⛅
この日は北岳をピストンして農鳥小屋を目指した。
朝日を浴びて、影濃く、谷深く、切り立つ山々は圧巻だった。
北岳からの眺め。真ん中右見えるのが北岳山荘。 |
記念写真、間ノ岳にて。満面の笑みでハンドスピナーを持つ井口とトベさん。 |
現状報告等をしてしばし盛り上がったあと、別れを惜しみつつ後発隊は北岳へ、我々は農鳥小屋へ向かった。出会いと別れの交差点、まさに間ノ岳は愛ノ岳である。(適当)
今日の目的地が近づくにつれしだいに我々の隊に緊張の空気が張り詰め始める。なぜか?画一化の波が次第に山にも訪れようとするこの昨今、だが、そんな時代に農鳥小屋には古き良き(??)伝統を守り、一部の利用者にこれでもか!という程の不快感を与え、南アルプスの山小屋界隈を沸き立たせる男がいる。そう、農鳥親父である。知らない人はネットで調べて欲しい。さまざまな評判を聞くことができるだろう。
ネットの情報によると、暇な時は山小屋から小屋へ歩いてくる登山客を観察して監視している見守ってくれているそうなので、ついつい私も、親父の眼差しを意識して緊張してしまった。岩がちな道を抜けて13時過ぎには小屋に到着した。「なにか文句言われたらいやだな~」と思いつつ受付へ。罵詈雑言がとんでくるかと思いきや、特に何もなく受付は終了。安心する反面少し残念だった。
水場はテン場から30分程離れたところにある。少し遠いが足を運ぶだけの価値がある冷たくておいしい水だった。
5日目 8/14 ☼→⛅
ピストンで農鳥岳を目指す。毛利隊員はめんどくさと言ってテントの警備を行う為、泣く泣く待機。隊員4人で向かう。出発時はガスっていたが、強く吹く朝の風に流されてあっという間に彼方まで見渡せるようになった。気持ち良い稜線歩きを一時間ほど続けると山頂に到着した。
山頂には「酒飲みて高根の上に吐く息はちりて下界の雨となるらん」と彫られた石碑があった。座右の銘にでもしようかな。(適当)
ピストンから戻り、テントを撤収し、農鳥小屋を後にした。ああさらば農鳥おやじ。
間ノ岳方面の縦走路を少し行くと熊ノ平小屋へと続くトラバースへ路への分岐が現れた。
長期山行も5日目を迎え、隊員にも次第に疲れの色が見えてきた。隊員も色々と考えることがあるのだろう。毛利隊員がふと発した「帰る勇気しかない」発言を聞いて笑ってしまった。長時間労働や時間外労働の問題が騒がれる昨今、本当に見習いたい精神だ。
トラバース路の中間のあたりにある沢で休憩した。たくさんのアブがブンブンと飛び回り自分の顔に群がっていたが、もはや怒りは沸いてこない。アブと分かりあえた気がする。
等高線に沿って伸びる登山道は多少の起伏はあったが歩きやすかった。
三国平を通過して三峰岳からの縦走路に合流して熊ノ平小屋へと続くジグザグ道を下ると唐突にお花畑が現れた。緩やかな斜面に柔らかな太陽の光をあびて、大きく花びらを開く花たちを見ているとここが南アルプスの山中であるという事を忘れてしまいそうになる。森の熊さんが出てきそうだなと思った。
お花畑を抜けたらすぐに熊ノ平小屋についた。ここのトイレは南アルプスの豊富な水を利用して疑似的な水洗式になっているのでもし訪れる機会があればぜひ確認してほしい。
6日目 8/15 ⛅→☔
ピストンで農鳥岳を目指す。毛利隊員は
農鳥岳の山頂 |
(たぶん)農鳥岳山頂から。鮮やかなグラデーションが美しい。 |
間ノ岳方面の縦走路を少し行くと熊ノ平小屋へと続くトラバースへ路への分岐が現れた。
分岐して少し歩くと現れる下り。結構急だった。 |
トラバース路の中間のあたりにある沢で休憩した。たくさんのアブがブンブンと飛び回り自分の顔に群がっていたが、もはや怒りは沸いてこない。アブと分かりあえた気がする。
休憩の様子。 |
大井川の源流の一つ(たぶん) |
三国平を通過して三峰岳からの縦走路に合流して熊ノ平小屋へと続くジグザグ道を下ると唐突にお花畑が現れた。緩やかな斜面に柔らかな太陽の光をあびて、大きく花びらを開く花たちを見ているとここが南アルプスの山中であるという事を忘れてしまいそうになる。森の熊さんが出てきそうだなと思った。
お花畑 |
良い黄色。 |
熊ノ平小屋 |
さあさあ、いよいよ、やってきましたよ!この山行の核心が。サンサン輝く太陽とはサヨナラバイバイ。流れる涙は雨に紛れてどこえやら。絶望の二日間が始まるのである。
起きた時はまだ、曇り空だった。まだ、かすかな希望が残っていた。「このまま天気もってくれよ~」なんて祈っちゃたりして。しかし現実は非情である。止まない雨はないが晴れがずっと続くとは限らない。これが長期の宿命なのだ。神が与えた試練なのだ!
北荒川岳の大崩落地を通りすぎ塩見へ至る急登に差しかかる。
-----------ふと、嫌な予感がした。いつか、どこかで感じた不快感がよみがえる。---------
風が次第に湿気ってくる…。
-----------------------------いや、、、まだ持つはずだ、、、。-------------------------
それに続いて、白い筋のような雲が隊列に纏わりついてくる。
---------------------だが、、、まだ、、、、、持ち返すはず!、、、。------------------
ポツポツと細い水滴が顔にしたたる。
----------------------------はあ、、、、だめじゃこりゃ…、、、-----------------------
一度休憩してカッパを着る。なぜかおばあちゃんから電話が入ってきてたので掛けなおした。「山大丈夫かい?」と聞かれたので「うん!大丈夫だよ!」って答えたおいた。状況は好転せず風も雨も強まるばかり。カッパを着て今日の目的地である三伏峠小屋へ足を速めた。寒い。思い出すだけで胃がムカムカするので詳細は割愛させていただく。
塩見岳の岩稜帯を抜けると樹林帯に入った。水をたくわえキラキラと活力に満ちる木々の緑は印象に残っている。全身ずぶ濡れでなければもっと良い思い出になっていただろう。本谷山で休憩中に食べた湿気った柿ピーが忘れられない。
精神力を振り絞るだけ振り絞って息も絶え絶えでなんとか三伏峠小屋にたどり着いた。雨はもちろん止まない。テントの中も外である。ガスを死に物狂いで付けて、その火で調理したチキンラーメンは本当に美味しかった。マジで。
7日目 8/15 🌂→☔
基本的に山で朝から雨という事は少ないと思う。出発した時は晴れていた。まあ吹く風が水っぽいから察してたよ、南アルプスよ。小河内岳避難小屋の辺りで雨粒とこんにちは!南アルプスの天然水の原液でずぶ濡れの全身を、なんとかを引きずって道を行く。
今すぐにでも帰りたい!と思う。だが見渡す限りは山ばかり。山の向こうに山が連なり、霧のかすみに消えていく風景を見ると自然の牢獄に閉じ込められた気分になった。名言メイカーの毛利は「なぜここにいるんだ」という言葉をもらしていた。冷静に考えると20年近く生きてきて何故、日本の中心に連なる山脈の最も奥深い箇所で雨に濡れているのだろうか摩訶不思議である。人生は南アルプスよりも奥深い(by木村)
高山裏避難小屋に辿りついても雨は(もちろん)止まず、テン場はびしょびしょで、テントの中に水場ができた。ドラえもんの道具を思いだした。あとトベさん曰くトイレのボットンの中にネズミらしき小動物がいたらしい。逞しい。
夕方、少し下ったところにある水場に水を汲みに行った。北の方はもう晴れていて青空が広がっていた。とても澄んだ青だった。
8日目 8/16 🌂→☼
朝3時ごろに起床。一時間ほどで準備をして出発した。夜闇の中、ぬかるんだ道を進んでいく。日が昇る頃に樹林帯を抜け、ゴーロ帯に出た。強く吹き付ける風は、湿り気を帯びて体温を奪う。前岳直下で雨が降り始めた。慣れた手つきでザック中からカッパを取り出して着る。もはやカッパが正装みたいなもんである。予定では荒川中岳避難小屋にザックを置いて東岳をピストンする予定だったが全会一致でカットを決めた。ガツガツと山を駆け下りてこの日の目的地である荒川小屋を目指す。
朝の7時過ぎに荒川小屋に到着。雨が小降りになるのを待ってテントを建てた。天気は昨日ほど悪くなく時おり雨が止み、日が差しそうな兆しも見える。だが、この2日間裏切られ続けた我々はそう簡単には信用しない。ふと、止んで期待させてから倍の威力で雨を降らすのは、彼らの常套手段である。疑り深い目でテントから外を覗く。だが今回は何かが違うようだ…。フライを叩きつける雨音は消え去り、差し込む光がテントを隅々まで照らしていく。使い古された言葉が、何気ない言葉が、今まで当たり前にあったのに忘れていた言葉が、心の分厚い雲を突き破って湧き上がってくる………。
晴れ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!。
まず晴れたらすることは何だろうか?テントを乾かす?それともザックを乾かす?いや、自分を乾かすのが先決であろう。
服を脱ぎ捨て、欲望に身を任せ、唯一の良心パンツだけを残して太陽と直に対面する!生まれたままの姿で!
ジリジリと肌を焦がす太陽が生の実感をもたらす。ああ生きてるってすばらしい。古くから様々な文明が太陽を信仰としてきた理由が分かる。普段なら顔をそむけるような直射日光にも深い慈悲を感じた。全身にソーラーパワーを蓄え、人権を回復した所で次の行動に移る。テントのフライを外し、ザックの中身を乾かす。シュラフ、登山靴、タオル、靴下、カッパ、パンツetc…テントを中心として各々の乾かしたい物が無限に広がってゆく。まるで2日間の鬱憤を晴らすかの様に。しまいにはインドのマーケットのようになってしまった。
太陽の甘味をとことんまで堪能した我々は数日ぶりにテントの中で安寧についた。
起きた時はまだ、曇り空だった。まだ、かすかな希望が残っていた。「このまま天気もってくれよ~」なんて祈っちゃたりして。しかし現実は非情である。止まない雨はないが晴れがずっと続くとは限らない。これが長期の宿命なのだ。神が与えた試練なのだ!
北荒川岳の大崩落地を通りすぎ塩見へ至る急登に差しかかる。
-----------ふと、嫌な予感がした。いつか、どこかで感じた不快感がよみがえる。---------
風が次第に湿気ってくる…。
-----------------------------いや、、、まだ持つはずだ、、、。-------------------------
それに続いて、白い筋のような雲が隊列に纏わりついてくる。
---------------------だが、、、まだ、、、、、持ち返すはず!、、、。------------------
ポツポツと細い水滴が顔にしたたる。
----------------------------はあ、、、、だめじゃこりゃ…、、、-----------------------
一度休憩してカッパを着る。なぜかおばあちゃんから電話が入ってきてたので掛けなおした。「山大丈夫かい?」と聞かれたので「うん!大丈夫だよ!」って答えたおいた。状況は好転せず風も雨も強まるばかり。カッパを着て今日の目的地である三伏峠小屋へ足を速めた。寒い。思い出すだけで胃がムカムカするので詳細は割愛させていただく。
塩見岳西峰。タッチ&ゴーで山頂を通り過ぎたためこの写真しかとれなかった。 |
塩見小屋 |
塩見小屋にて休憩。ほぼ一言も喋らなかった。 |
道も靴も衣服も全部グチャグチャ。もちろん頭の中も。 |
7日目 8/15 🌂→☔
基本的に山で朝から雨という事は少ないと思う。出発した時は晴れていた。まあ吹く風が水っぽいから察してたよ、南アルプスよ。小河内岳避難小屋の辺りで雨粒とこんにちは!南アルプスの天然水の原液でずぶ濡れの全身を、なんとかを引きずって道を行く。
今すぐにでも帰りたい!と思う。だが見渡す限りは山ばかり。山の向こうに山が連なり、霧のかすみに消えていく風景を見ると自然の牢獄に閉じ込められた気分になった。名言メイカーの毛利は「なぜここにいるんだ」という言葉をもらしていた。冷静に考えると20年近く生きてきて何故、日本の中心に連なる山脈の最も奥深い箇所で雨に濡れているのだろうか摩訶不思議である。人生は南アルプスよりも奥深い(by木村)
樹林帯を駆け抜ける一行。なんだかんだ言って雨の日の樹林帯には独特の雰囲気があって好きだ。 |
夕方、少し下ったところにある水場に水を汲みに行った。北の方はもう晴れていて青空が広がっていた。とても澄んだ青だった。
8日目 8/16 🌂→☼
朝3時ごろに起床。一時間ほどで準備をして出発した。夜闇の中、ぬかるんだ道を進んでいく。日が昇る頃に樹林帯を抜け、ゴーロ帯に出た。強く吹き付ける風は、湿り気を帯びて体温を奪う。前岳直下で雨が降り始めた。慣れた手つきでザック中からカッパを取り出して着る。もはやカッパが正装みたいなもんである。予定では荒川中岳避難小屋にザックを置いて東岳をピストンする予定だったが全会一致でカットを決めた。ガツガツと山を駆け下りてこの日の目的地である荒川小屋を目指す。
朝の7時過ぎに荒川小屋に到着。雨が小降りになるのを待ってテントを建てた。天気は昨日ほど悪くなく時おり雨が止み、日が差しそうな兆しも見える。だが、この2日間裏切られ続けた我々はそう簡単には信用しない。ふと、止んで期待させてから倍の威力で雨を降らすのは、彼らの常套手段である。疑り深い目でテントから外を覗く。だが今回は何かが違うようだ…。フライを叩きつける雨音は消え去り、差し込む光がテントを隅々まで照らしていく。使い古された言葉が、何気ない言葉が、今まで当たり前にあったのに忘れていた言葉が、心の分厚い雲を突き破って湧き上がってくる………。
晴れ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!。
まず晴れたらすることは何だろうか?テントを乾かす?それともザックを乾かす?いや、自分を乾かすのが先決であろう。
服を脱ぎ捨て、欲望に身を任せ、唯一の良心パンツだけを残して太陽と直に対面する!生まれたままの姿で!
ジリジリと肌を焦がす太陽が生の実感をもたらす。ああ生きてるってすばらしい。古くから様々な文明が太陽を信仰としてきた理由が分かる。普段なら顔をそむけるような直射日光にも深い慈悲を感じた。全身にソーラーパワーを蓄え、人権を回復した所で次の行動に移る。テントのフライを外し、ザックの中身を乾かす。シュラフ、登山靴、タオル、靴下、カッパ、パンツetc…テントを中心として各々の乾かしたい物が無限に広がってゆく。まるで2日間の鬱憤を晴らすかの様に。しまいにはインドのマーケットのようになってしまった。
最終形態。 |
最終形態その2。 |
太陽の甘味をとことんまで堪能した我々は数日ぶりにテントの中で安寧についた。
テント内の貴重なワンシーン |
(※念のため追記しておきますが周りの登山客の方々には極力不快感を与えないよう細心の注意をはらって行動しています。朝7時過ぎに着き、テン場は空っぽだったので大胆に行動しましたが、他の方々がテントを張り始める頃には服も着てきちんと物も撤収しています。あしからず。)
9日目 8/17 ☼→☁/☔+⚡→⛅
日の昇る前に起床。最初の方は時間のかかっていた朝の準備も効率化され、隊員たちはテキパキと自分の仕事をこなしてゆく。日の出少し前に出発した。あたりには薄白い霧が立ち込め、視界は自分達の周りが見える程度。やがて東の方から差し込んできたオレンジ色の光が乱反射して、ほのかに明るくなった。日が昇り、朝が始まる。夜の間静かに身を潜めていた雲たちが身を起こし、その巨体は轟轟と動き始める。揺れ乱れる霧の向こう側で輪郭のぼやけた太陽は幻想的でノスタルジックな光を放っていた。いつしか山肌まとわりついていた霧は晴れ、頭上を巨大な雲が猛スピードで駆け抜けて行く。
山の朝はにぎやかだと思う。何者も皆静まりかえり静寂に満たされた山の夜と、日が燦燦と降り注ぎ生命の活気あふれる山の昼。それらを繋ぐ朝は繊細さと豪胆さを兼ね備えて魅力的な瞬間と化す。朝の冷気を含み稜線を掠め駆けぬて行く風を全身に浴びながら、眼前に広がる鮮やかな朝焼けを見ていると脳汁があふれんばかりにあふれて精神がどっか行ってしまいそうになる。マジ合法ドラックといった感じだ。
赤石岳山頂までの稜線歩きはとても気持ち良かった。
赤石岳山頂を過ぎたあたりでガスがでてきた。雨が降るわけでは無かったが百間平は晴れた日に歩いたら気持ちよかっただろうなと思う。百間洞の家手前で雨に襲われる。いままでの雨とは違って雷鳴を伴っていたので怖かった。小屋で1時間ぐらい雨宿りしていると小降りに落ち着いてきたのでさっさとテントを建てて、きままな午後を過ごした。
10日目 8/18 ⛅→☼
この日は聖平小屋に向かう予定だったので早くに出発した。山肌にそって伸びる登山道から聖岳の方向を見る。闇夜の中にあって、月明かりを浴び一段と黒く浮き上がる雷雲は、自分の中にある原始的な不安を湧き上がらせる。距離があるとは言え、時おり妖しく光る雲には威圧感があった。だが、それとは対照的に自分達の上には満点の星空が広がり、チラチラとまばゆく輝いていて、とても綺麗だった。
中森中山で休憩。ふと、遠くを見ると山の向こうに車のヘッドライトの点列が見えた。高速だろうか。対面二車線道路を行き交う車の姿が心に浮かぶ。しばらく触れていない文明の薫りを感じ少し下界が恋しくなった。しかし進まねばならない。これもまた長期山行である。
太陽が空の中ほどまで昇り、朝が昼へ変わる頃、急登を登りきって兎岳に到着した。太陽が放った光が私たちの背後に影を落とす。きまぐれな雲がそんな影を掬いあげて流れて行く。自然は時として我々の想像を軽やかに越えて、ありもしないような風景を作り出す。そうブロッケン現象である。大きく手を振る。影が振り返す。影の世界に住むもう一人の自分がこちらに手を振ってくれているのではないだろうか、と勝手に妄想。向こうも長期山行中なんだろうなあと同情して「がんばれよっ!」と念を送った。向こうからも「がんばれよっ!」と念が送られてきた(気がする)。
兎岳から聖岳への下り坂は急で道もなかなか切り立っていて少しハラハラした。登り返しも急で半ば4足歩行に近い形で登り切った。赤い岩肌が印象にのこっている。急登を登りきると尾根は広くなだらかになった。のらりくらりと坂を登って山頂に顔を出すと、頂上は人で一杯だった。聖平小屋方面の斜面を覗くと編隊を組んだツアーの人々がぞろぞろとつづら折りの登山道を登っていた。まるで大ムカデのようだった。ガイドが聖岳の名前の由来をベラベラと喋っていたので聞き耳を立てる。ふむふむと納得。少し得をした気分。
この日一番の獲物である聖岳に登頂してしまった我々は、そそくさとこの日の目的地である聖平小屋へと足を早める。
山の朝はにぎやかだと思う。何者も皆静まりかえり静寂に満たされた山の夜と、日が燦燦と降り注ぎ生命の活気あふれる山の昼。それらを繋ぐ朝は繊細さと豪胆さを兼ね備えて魅力的な瞬間と化す。朝の冷気を含み稜線を掠め駆けぬて行く風を全身に浴びながら、眼前に広がる鮮やかな朝焼けを見ていると脳汁があふれんばかりにあふれて精神がどっか行ってしまいそうになる。マジ合法ドラックといった感じだ。
赤石岳山頂までの稜線歩きはとても気持ち良かった。
赤石岳山頂にて。ガスっている。 毛利曰く、「ここも3000mかよ、寒い。」 |
10日目 8/18 ⛅→☼
この日は聖平小屋に向かう予定だったので早くに出発した。山肌にそって伸びる登山道から聖岳の方向を見る。闇夜の中にあって、月明かりを浴び一段と黒く浮き上がる雷雲は、自分の中にある原始的な不安を湧き上がらせる。距離があるとは言え、時おり妖しく光る雲には威圧感があった。だが、それとは対照的に自分達の上には満点の星空が広がり、チラチラとまばゆく輝いていて、とても綺麗だった。
中森中山で休憩。ふと、遠くを見ると山の向こうに車のヘッドライトの点列が見えた。高速だろうか。対面二車線道路を行き交う車の姿が心に浮かぶ。しばらく触れていない文明の薫りを感じ少し下界が恋しくなった。しかし進まねばならない。これもまた長期山行である。
太陽が空の中ほどまで昇り、朝が昼へ変わる頃、急登を登りきって兎岳に到着した。太陽が放った光が私たちの背後に影を落とす。きまぐれな雲がそんな影を掬いあげて流れて行く。自然は時として我々の想像を軽やかに越えて、ありもしないような風景を作り出す。そうブロッケン現象である。大きく手を振る。影が振り返す。影の世界に住むもう一人の自分がこちらに手を振ってくれているのではないだろうか、と勝手に妄想。向こうも長期山行中なんだろうなあと同情して「がんばれよっ!」と念を送った。向こうからも「がんばれよっ!」と念が送られてきた(気がする)。
兎岳から聖岳への下り坂は急で道もなかなか切り立っていて少しハラハラした。登り返しも急で半ば4足歩行に近い形で登り切った。赤い岩肌が印象にのこっている。急登を登りきると尾根は広くなだらかになった。のらりくらりと坂を登って山頂に顔を出すと、頂上は人で一杯だった。聖平小屋方面の斜面を覗くと編隊を組んだツアーの人々がぞろぞろとつづら折りの登山道を登っていた。まるで大ムカデのようだった。ガイドが聖岳の名前の由来をベラベラと喋っていたので聞き耳を立てる。ふむふむと納得。少し得をした気分。
聖岳にて。風が強かった。赤石岳方面が曇っていたのが残念。 |
振り返って聖岳。堂々たる山容である。 |
昼過ぎに聖平小屋に到着。聖平小屋ではウェルカムデザートとしてフルーツポンチを一杯無料で頂けるらしい。うまかった。サプライズ隊から見捨てられた我々を癒してくれる素晴らしい一杯だった。この他にも聖平小屋ではカップラーメンを頂いた。若者に優しい温かい小屋だなあと思った。
11日目 8/19 ⛅→☼
日が昇るころ出発。聖平小屋から登山道へ合流。朝霧の中,上河内岳へと至る道を行く。あとで分かったことなのだが、この辺りは「奇岩」、「怪岩」を見る事のできる場所として、一定の知名度があるらしい。思い出してみれば、ナウマンゾウのうんこみたいな形をした岩が沢山あった気がする。稜線を強く吹く、冷たい朝の風は、我々に「早く行け。」と無言の圧力を加えているようだった。身を屈め、何かから逃れるように道を急いだ。
ここでまた気まぐれがやってくる。今度の気まぐれを起こしたのは人間の方だった。強い風に煽られて地図をうまく扱えず、本来なら行くはずのない上河内岳山頂へ向かうように隊員に私は指示を出したのだ。(その時は上河内岳の向こうに登山道が続いていると思っていた。)透明な鼻水が滴る。寒い。風に後を追われて坂を登りきる。俯いた顔をやっとのことで上げると眼前には圧倒的な眺望が広がっていた。驚いた。本当に驚いた。重力が反転して、今までの圧迫感が消えて、語彙力が西の空へと飛んで行った。心に残ったのは純粋な驚きだった。感動の原質であるとも言えるかもしれない。
しばしその景色に見とれた後、もと来た道を戻った。一日は始まったばかりでまだまだ行く道は長い。まだ晴れぬ朝霧の中を行く。7時頃、茶臼小屋分岐に差し掛かった。一旦休憩の為、茶臼小屋に寄って行くかどうかを相談した。当初は寄っていく流れでは無かったのだがとべさんの「トイレ✋」の鶴の一声で一旦寄ることに決定した。茶臼小屋までは分岐から10分ほどであった。登山道を駆け下りる。黄色、ピンク、緑、ぽつぽつとテントが現れた。小屋はもうすぐだ。テント?!?!?!?なぜテントがあるのだろうか???あってはならないはずなのに。なぜなら茶臼小屋のテン場は補修工事中のはずなのだから……。
そう、実は工事は延期となっていたのだ!もし、とべさんがトイレに行くと言っていなかったら、光岳まで重たい荷物を背負い、下山も飯田側となるはずだった。まさに、とべさんの「トイレ✋」さまさまである。サプライズ隊には恵まれなかったが、気まぐれには恵まれていたのかもしれない。
テントを素早く設営し、アタック装備を整え光岳へと向かう。残念ながら毛利隊員はテントの警備にあたるということで、茶臼小屋で待機するという事になった。犯罪の手法が巧妙化、多様化している現在において、やはり最後に頼れるのはヒトではないだろうか。テントの防犯は万全という大きな安心感が、光岳ピストンの安全の向上に大きく寄与したことは言うまでもない。
90Lザックの足枷から解放された我々は無敵だ。まるで山猿の如し。GO!GO!GO!GO!坂を飛び越え、岩を渡り、湿原の中を駆け抜ける。あっ…というまに光岳!
光岳はあまり映えるピークではなかったが、その先に広がる手つかずの原生林の鬱蒼した感じは結構好きだと感じた。光小屋のおばあさんは、なかなかハスキーな声の持ち主で、「これは、良いババア」だなあと思った。カッコよかった。
帰りも同じように、足早に茶臼へ急いだ。結構風が強かった。稜線から茶臼小屋への分岐のところで、ふと、「ああこの稜線を吹く強い風とも、もうお別れか…なんだか…さみしいなあ………」などと訳も分からず感傷的になった。(のちに分かるがこれは杞憂である。唐松岳で嫌というほど吹かれた。)
最後の夕食は、聖平小屋でもらったラーメンと、自分達で作ったチャーハンを食べた。ちょっとお米がベチャベチャだったけどおいしかった。
明日は下山。12日間に及ぶ長期山行も気づけば下山を残すのみ。下山できるという喜びと、長期山行が終わるという寂しさが不思議に交錯していた。太陽は沈み、我々は眠りについた。明日がやってくる。
12日目 8/21《最終日》☼
5時頃起床。他の11日間と同じように素早くシュラフを片付け、ガスを沸かし、朝飯を掻き込む。誰もが自分自身の役割を良く理解し、淡々とこなしていく。一つの日常がそこにはあった。テンポよくテントを畳み、パッキングをし直し、ザックを背負って、腰ベルトをギュッと締めた。さあ、出発だ。
ジグザグな急斜面を右へ左へ駆け下りる。朝露で湿ったキノコがしっとりと赤く光っていた。じっと眺めていたいような気もするが、下界の恋しさが勝った。急峻な斜面を駆け下りると横窪沢小屋についた。少しづつ大きくなる水の音が、森の空気が、人々の雰囲気が、下界を予感させる。
横窪沢小屋では、その小屋に泊まる事を目的にやって来たおじいさん達に会った。そういう贅沢な老後もいいなあと思った。
トイレ休憩が終わった所で出発。川にかかる橋を渡り、峠を登り返した。ウソッコ沢に着くころには高山の雰囲気は消えていた。葉の緑が濃い。川は幾度となく沢との合流を繰り返し、白い泡を沸き立てながらゴウゴウと流れ、その音をかき消すように蝉時雨が降り注ぐ。何度か橋を渡り、川沿いを行く。少しの坂を登り返せば後はもう下るだけだ。茶臼岳のピストン程度なら全然気にならない程度の登り坂も13日間に及ぶ山行の最後の最後にちょこっと現れると「やれやれ…勘弁してくれよ…」という気持ちになる。ちなみにこの峠の名前はヤレヤレ峠と呼ばれているらしい。めっちゃその気持ち分かる。先人たちもまた同じ様な思いを抱いていたのだろうか。時を越えて古の登山者たちの姿が見えた気がした。
峠を過ぎたら後は下るだけ。少し崩壊地があったが基本的に問題はない道だと思う。ダムに立派にかかる畑薙大橋を渡るとあっけなく茶臼岳の登山口に出た。もうそこは下界だった。
何もかもが濃い。葉の緑も、日の光も、熱を持ちくぐもった空気も、空の色も。そこにある全てが夏を謳歌しているように感じた。ジンワリと額に汗がにじむ。ムンムンと夏の熱気を発する植物や虫たちに圧倒されそうになる。我が世の夏を楽しむ彼らにはとって我々は些細な存在にも成り得ないらしい。
登山口に出たと言ってもバスに乗るためには1時間半ほど歩いて畑薙ダムの向こう側にある夏季臨時駐車場に行く必要がある。下山したという喜びを隊で分かち合い。夏の日差しの中トボトボと歩き始めた。地味に最後のこういう行程が一番つらかったりする。途中で砂利道がアスファルトへと変わり文明だ!!と一人喜びをかみしめた。砂利道に熱はこもらない、熱を持ってムンムンと不快感を発してるアスファルトは文明の象徴なのだ(すくなくとも自分にとっては。)
途中どこに夏季駐車駐車場があるか分からなくてダムの事務員みたいな人に訪ねたりする程度のアクシデントはあったものの無事、駐車場に到着することができた。簡易テントの下で下山届を提出。入山口を書こうとしたらその紙には載っていなかったので改めてこの旅の長さを実感した。係員のおばさんにもらったお茶は良く冷えて、良く澄んでいて格別の味だった。
臭いで迷惑にならないように全身を汗拭きシートで入念に拭いてバスを待つ。バスのおじさんは、道路脇を歩いている登山客を見つけるとススっとバスを停め、バーンとドアを開けて「早く乗りな」「乗らねえんなら行っちまうぞ」というツンデレぶりをみせ、載せてしまうと「早く座らねえと出発しちまうぞ」と痺れるセリフを吐きながらエンジンをふかす、なかなかイカスじじいだった。こうゆう人間の濃さも山ならではなのかもしれない(しかし、濃さという観点であるならば新宿駅前も終電間際の山手線も負けてない。)
揺られる間もなくバスは白樺荘に着いた。12日ぶりの温泉は格別で、疲れも汚れも水に溶けていく。シャンプーが泡立つのには3回ほどの洗い直しを要した。髭もボサボサでまるで物乞い。良くて浮浪者といった感じ。
さっぱりして、軽く反省会を行い、静岡駅まで向かうバスに乗った。この道中、井口が添乗員さんをナンパしようとするなど小話は尽きないが省略させてもらう。(簡単に言うと井口がお目当てにしている添乗員のお姉さんに質問をしたところ、別の添乗員のおばさんにめちゃくちゃ親切に解答されてしまったという話。)
一時間半くらいで静岡駅に到着。高層ビル群の中にいると山が少し名残惜しかった。
長期といえば下山後の飯だが、去年の長期と比べる今回は全然ストレスが無かったのでそんなに、「うまい!!!!!!」「生野菜だ!!!!!」となることはなかった。去年は貴重なドライフルーツだったプルーンを食べたときの喜びの印象が強すぎて下界でもプルーンを見ると動悸が早まる、というような事があった。だが、今回は「うまい!」くらいでそんなに響かなかった。特筆すべき事と言えば戸邊さんがワッフルを作っていたことくらい。
腹いっぱい食べたらあとは電車にのってつくばに戻るだけ。こうして長期山行は幕を閉じたのであった。
ちなみに私は疲労困憊だったのでこれ以上の移動を避けるべく第二の故郷とも呼ぶべきネットカフェで一人、静岡と一夜を共にしました。
11日目 8/19 ⛅→☼
日が昇るころ出発。聖平小屋から登山道へ合流。朝霧の中,上河内岳へと至る道を行く。あとで分かったことなのだが、この辺りは「奇岩」、「怪岩」を見る事のできる場所として、一定の知名度があるらしい。思い出してみれば、ナウマンゾウのうんこみたいな形をした岩が沢山あった気がする。稜線を強く吹く、冷たい朝の風は、我々に「早く行け。」と無言の圧力を加えているようだった。身を屈め、何かから逃れるように道を急いだ。
ここでまた気まぐれがやってくる。今度の気まぐれを起こしたのは人間の方だった。強い風に煽られて地図をうまく扱えず、本来なら行くはずのない上河内岳山頂へ向かうように隊員に私は指示を出したのだ。(その時は上河内岳の向こうに登山道が続いていると思っていた。)透明な鼻水が滴る。寒い。風に後を追われて坂を登りきる。俯いた顔をやっとのことで上げると眼前には圧倒的な眺望が広がっていた。驚いた。本当に驚いた。重力が反転して、今までの圧迫感が消えて、語彙力が西の空へと飛んで行った。心に残ったのは純粋な驚きだった。感動の原質であるとも言えるかもしれない。
しばしその景色に見とれた後、もと来た道を戻った。一日は始まったばかりでまだまだ行く道は長い。まだ晴れぬ朝霧の中を行く。7時頃、茶臼小屋分岐に差し掛かった。一旦休憩の為、茶臼小屋に寄って行くかどうかを相談した。当初は寄っていく流れでは無かったのだがとべさんの「トイレ✋」の鶴の一声で一旦寄ることに決定した。茶臼小屋までは分岐から10分ほどであった。登山道を駆け下りる。黄色、ピンク、緑、ぽつぽつとテントが現れた。小屋はもうすぐだ。テント?!?!?!?なぜテントがあるのだろうか???あってはならないはずなのに。なぜなら茶臼小屋のテン場は補修工事中のはずなのだから……。
そう、実は工事は延期となっていたのだ!もし、とべさんがトイレに行くと言っていなかったら、光岳まで重たい荷物を背負い、下山も飯田側となるはずだった。まさに、とべさんの「トイレ✋」さまさまである。サプライズ隊には恵まれなかったが、気まぐれには恵まれていたのかもしれない。
テントを素早く設営し、アタック装備を整え光岳へと向かう。残念ながら毛利隊員はテントの警備にあたるということで、茶臼小屋で待機するという事になった。犯罪の手法が巧妙化、多様化している現在において、やはり最後に頼れるのはヒトではないだろうか。テントの防犯は万全という大きな安心感が、光岳ピストンの安全の向上に大きく寄与したことは言うまでもない。
90Lザックの足枷から解放された我々は無敵だ。まるで山猿の如し。GO!GO!GO!GO!坂を飛び越え、岩を渡り、湿原の中を駆け抜ける。あっ…というまに光岳!
光岳はあまり映えるピークではなかったが、その先に広がる手つかずの原生林の鬱蒼した感じは結構好きだと感じた。光小屋のおばあさんは、なかなかハスキーな声の持ち主で、「これは、良いババア」だなあと思った。カッコよかった。
光岳山頂にて。小顔効果を狙うとべさん。 |
最後の夕食は、聖平小屋でもらったラーメンと、自分達で作ったチャーハンを食べた。ちょっとお米がベチャベチャだったけどおいしかった。
明日は下山。12日間に及ぶ長期山行も気づけば下山を残すのみ。下山できるという喜びと、長期山行が終わるという寂しさが不思議に交錯していた。太陽は沈み、我々は眠りについた。明日がやってくる。
12日目 8/21《最終日》☼
5時頃起床。他の11日間と同じように素早くシュラフを片付け、ガスを沸かし、朝飯を掻き込む。誰もが自分自身の役割を良く理解し、淡々とこなしていく。一つの日常がそこにはあった。テンポよくテントを畳み、パッキングをし直し、ザックを背負って、腰ベルトをギュッと締めた。さあ、出発だ。
ジグザグな急斜面を右へ左へ駆け下りる。朝露で湿ったキノコがしっとりと赤く光っていた。じっと眺めていたいような気もするが、下界の恋しさが勝った。急峻な斜面を駆け下りると横窪沢小屋についた。少しづつ大きくなる水の音が、森の空気が、人々の雰囲気が、下界を予感させる。
横窪沢小屋では、その小屋に泊まる事を目的にやって来たおじいさん達に会った。そういう贅沢な老後もいいなあと思った。
トイレ休憩が終わった所で出発。川にかかる橋を渡り、峠を登り返した。ウソッコ沢に着くころには高山の雰囲気は消えていた。葉の緑が濃い。川は幾度となく沢との合流を繰り返し、白い泡を沸き立てながらゴウゴウと流れ、その音をかき消すように蝉時雨が降り注ぐ。何度か橋を渡り、川沿いを行く。少しの坂を登り返せば後はもう下るだけだ。茶臼岳のピストン程度なら全然気にならない程度の登り坂も13日間に及ぶ山行の最後の最後にちょこっと現れると「やれやれ…勘弁してくれよ…」という気持ちになる。ちなみにこの峠の名前はヤレヤレ峠と呼ばれているらしい。めっちゃその気持ち分かる。先人たちもまた同じ様な思いを抱いていたのだろうか。時を越えて古の登山者たちの姿が見えた気がした。
峠を過ぎたら後は下るだけ。少し崩壊地があったが基本的に問題はない道だと思う。ダムに立派にかかる畑薙大橋を渡るとあっけなく茶臼岳の登山口に出た。もうそこは下界だった。
何もかもが濃い。葉の緑も、日の光も、熱を持ちくぐもった空気も、空の色も。そこにある全てが夏を謳歌しているように感じた。ジンワリと額に汗がにじむ。ムンムンと夏の熱気を発する植物や虫たちに圧倒されそうになる。我が世の夏を楽しむ彼らにはとって我々は些細な存在にも成り得ないらしい。
緑が濃い。 |
登山口に出たと言ってもバスに乗るためには1時間半ほど歩いて畑薙ダムの向こう側にある夏季臨時駐車場に行く必要がある。下山したという喜びを隊で分かち合い。夏の日差しの中トボトボと歩き始めた。地味に最後のこういう行程が一番つらかったりする。途中で砂利道がアスファルトへと変わり文明だ!!と一人喜びをかみしめた。砂利道に熱はこもらない、熱を持ってムンムンと不快感を発してるアスファルトは文明の象徴なのだ(すくなくとも自分にとっては。)
途中どこに夏季駐車駐車場があるか分からなくてダムの事務員みたいな人に訪ねたりする程度のアクシデントはあったものの無事、駐車場に到着することができた。簡易テントの下で下山届を提出。入山口を書こうとしたらその紙には載っていなかったので改めてこの旅の長さを実感した。係員のおばさんにもらったお茶は良く冷えて、良く澄んでいて格別の味だった。
臭いで迷惑にならないように全身を汗拭きシートで入念に拭いてバスを待つ。バスのおじさんは、道路脇を歩いている登山客を見つけるとススっとバスを停め、バーンとドアを開けて「早く乗りな」「乗らねえんなら行っちまうぞ」というツンデレぶりをみせ、載せてしまうと「早く座らねえと出発しちまうぞ」と痺れるセリフを吐きながらエンジンをふかす、なかなかイカスじじいだった。こうゆう人間の濃さも山ならではなのかもしれない(しかし、濃さという観点であるならば新宿駅前も終電間際の山手線も負けてない。)
揺られる間もなくバスは白樺荘に着いた。12日ぶりの温泉は格別で、疲れも汚れも水に溶けていく。シャンプーが泡立つのには3回ほどの洗い直しを要した。髭もボサボサでまるで物乞い。良くて浮浪者といった感じ。
さっぱりして、軽く反省会を行い、静岡駅まで向かうバスに乗った。この道中、井口が添乗員さんをナンパしようとするなど小話は尽きないが省略させてもらう。(簡単に言うと井口がお目当てにしている添乗員のお姉さんに質問をしたところ、別の添乗員のおばさんにめちゃくちゃ親切に解答されてしまったという話。)
一時間半くらいで静岡駅に到着。高層ビル群の中にいると山が少し名残惜しかった。
長期といえば下山後の飯だが、去年の長期と比べる今回は全然ストレスが無かったのでそんなに、「うまい!!!!!!」「生野菜だ!!!!!」となることはなかった。去年は貴重なドライフルーツだったプルーンを食べたときの喜びの印象が強すぎて下界でもプルーンを見ると動悸が早まる、というような事があった。だが、今回は「うまい!」くらいでそんなに響かなかった。特筆すべき事と言えば戸邊さんがワッフルを作っていたことくらい。
なんと戸邊さんは長期山行中に女子力も上げていたのだ!!驚くべき精神力!! |
ちなみに私は疲労困憊だったのでこれ以上の移動を避けるべく第二の故郷とも呼ぶべきネットカフェで一人、静岡と一夜を共にしました。
静岡駅改札口にて。彼ら1人1人の背中に物語がある。 |
総評
まあこんな感じで長期は幕を閉じたわけで、ざっくりと今回感じた事をまとめてこの文章を終わろうと思う。まず、今年の長期は雲長期だったなあという印象。ちなみに去年の長期は雨長期(絶望)といった感じ。戻ってニュースを見て知ったのだがどうやら下界では日照不足だったらしい。3000m級高さにいたおかげでむしろ種々様々な雲の生み出す美しい景色を見る事ができたのではないかと思う。あと南アルプスは北よりも精神的にも、肉体的にも負担が少ないと感じた。より北に位置する北アルプスはそもそも森林限界が低い。また雨がふるととても冷たい。森林限界を超え、雨の中、灰色のザレた登山道を歩くとなんとなく死を連想してしまう。それに比べると南アルプスは緑も豊かで、それゆえ登山道も歩きやすく、雨が降るとブチギレはしたが、潤う緑の中にいるという感じだったそ。それが今回下山後もそんなにテンションが上がらなかった原因かなあと思う。
あと、隊員に向けて思ったこと。
井口→雨の中ずっととべさんと喋り続けていてすごい精神力だなあと思いました。
犬竹→謎にザックが軽かった。確信犯か?それとも天然か?はちゃめちゃな隊員多い
なか隊のバランスをとってくれたと思う。
毛利→モチベーションが大事。毛利の吐いた名言はいまでも月一のペースで思い出して1人
で笑ってます。
とべさん→料理がめちゃくちゃうまくて感動しました。特に鯖缶に梅肉をいれたやつが
すごかったです。食べた瞬間、梅林の中を鯖が泳いでいく光景が想像できました。
とにかく隊員の優秀さに支えられた山行だったと思います。ほんとうにありがとうございました。自分も多くの事を学べたと思います。
長期山行のほとんどはブログに載せれるような内容ではなくて、このブログの内容は長期100%のほんの1%の上澄みみたいなものです。既に一年が経とうとしていて、自分も忘れてしまったこともあるし、誰も覚えていないようなもあるのかもしれません。それでも自分にとってこの長期はとても大きな存在であると確信しています。
季節は過ぎ去ります。秋がきて、冬がきて、また春がきて、私はいくつかの単位を落としました。そんな事を気にする素振りも見せず、また夏が漫然とやってきます。今年は静かに下界で見守っていようと思います。一体、どんな物語が遠く離れた頂の上で生まれるのでしょうか。とても楽しみです。
長々とした文章でしたが読んで頂きありがとうございました。
【完】
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